ネパールのエベレスト街道メインルート、クラシックルートを歩いて感じた事とか、思った事とかを、文章にしてみました。
読み物みている気分で、へぇー、って読んでもらえればとおもいます。
「ナマステー」と言ってみる
「こんにちは」って、道行く人に自分から声をかけたのって、みんなは最後いつ頃だった?
僕は毎日朝に散歩をしているから、たまに声をかける日があるんだけど、それでもむかし、といっても小学生の頃なんかをかんがえると、めっきり減ったと思う。
目があった人にあいさつするのって、ちょっと勇気がいるようになったのは、年を取ったせいだろうか。
ネパールのトレッキングでも、特に郊外のエリアを歩いていると、地元の人とたまにすれ違う。僕は旅をしに来ている人なので、地元の人とちょっと交流してみたいと思ったりもする。多く旅人が来るエリアでも無いので、あちらも僕のことがちょっと気になるみたい。
そんなとき、ちょっと勇気を出してみて、「ナマステー」と声を発してみる。
すると「ナマステー」と、笑顔で挨拶を返してくれる人がほとんどだった。このあたりは日本人と感覚が同じようで、皆さん遠慮がちなご様子で、お互いに挨拶しようか迷っているのかもしれない。
「ナマステー↑」「ナマステ↘」
イントネーションが人によって若干違うのは、「コンチハ」「こんにちは」みたいなものか。
いずれにせよ、ちょっとだけ頑張って挨拶してみると、現地の人との距離が少し近くなれる気がした。

ネパールの人は、日本人と雰囲気近しい
さっきの話の続きみたいになるけれど、ネパールの人って、距離感が心地よいんだ。
ぼくはヨーロッパ、中国、東南アジア、ニュージーランド辺りをぐるぐる歩いたけど、そのどのタイプにも属さない。あえて言うなら、日本人が一番近しい気がする。
日本のインドカレー屋に居る在日インド人やネパール人が、僕たちが食べる様子を笑顔でジーっと見てくるアレのイメージがあったからか、思ったよりも距離を保ってくれた。それでいて、都会のドライな距離感ではなく、ほどほど仲良くしてくれる。
さっきのあいさつの話でも触れたように、向こうもこちらに興味がある「風」がするんだ。僕が歩いた場所が、田舎の方って理由もありそうだけども。
声をかければ返してくれる。でも向こうからグイグイ来ない。
我ら旅人を見かけたら、とりあえず喋ってみる、みたいな「旅先特有のノリ」とはちょっと違う。あくまで主体はコミュニケーションの相手側にあって、自分が話したいかどうか、距離を取りたいかどうかは二の次な感じ。
いわゆる「空気が読めている感じ」が、すごく日本人な気がした。
喋ってから意気投合する、ではなく、お互いに空気を読みつつ、息が合いそうなら話してみる。な感じ。
だからかな、今回のネパール旅は、ぼく的には結構心地が良くて、終始リラックスできていた気がする。なんだか安心する、ネパールの距離感でした。

ゴミ問題と先進国
「ネパールの景色は綺麗かい??」
現地ガイドに聞かれたこの質問に対し、当たり障り無く、「とてもきれいだと思うよ!」と答えていた僕の心は、ちょっと引っかかっていた。
景色は綺麗だと思う、けど、地面が汚いんだ。
ネパールのトレッキングルートには、ゴミが散乱している。いえ、トレッキングルートだけでなく、ネパール全土にゴミが散乱しているのだ。
ハイカーが押し寄せるエベレスト街道については、当然のようにゴミが捨てられている。これに納得してはいけないんだけど、人が集まるからそうなるのは予想くらい付く。が、郊外のマイナールート、なんなら出発地点へ到着するまでの、バスの車窓から見える景色が、一言で言えばゴミだらけだった。
自分の前の席のネパール人が、バスの窓からゴミを投げ捨てた。さっき食っていたスナック菓子だ。エベレスト街道を案内してくれているシェルパガイドですら、僕の目の前で、平然とゴミを捨てた。嫌味だとも思ったが、それをぼくは目の前で拾いポケットにしまった。ネパールに転がっているゴミたちは、ネパール人が捨てていたのだ。
これはマナーやオーバーツーリズムの話ではなく、もっと根本の、いわば「環境リテラシー」的なのが背景だと感じた。
「ゴミを投げ捨てることは悪しき事」
「たばこのポイ捨ては恥ずべき行為」
日本を含む先進国の人間が、もはや当然のように考えられるようになったことが、彼らにはきっと理解できていない。
標高数千メートルの山々が連なる中、足元に目線を落とすと、視界のどこかに必ず入り込む人為的なモノ。
谷にはそれが寄り集まり、密度を濃くしてカラフルな色を成している。青や緑ではないこれらを、綺麗なものだとも、汚いものだとも思っていないのだろう。認識の外にあるから、ネパールの景色を綺麗だと、彼らは本気思っている。
SDGsで「持続可能な開発が、、、」って、焦った先進国が提唱している理由が、何となく分かった。
これは彼らの一人一人のマナーの問題ではなく、リテラシーの問題だとすると、この責任は先進国にもあるのだろうと。
「たまにはゴミを拾って帰ろう」
自分の中の罪悪感を相殺しようとする、たまのこうした善行もバカバカしくなるような景色が、ここネパールには転がっている。

儲けの精神が特に無いのかもしれない
250ルピーのチップを渡すかどうか、僕は数分悩んでいた。
一泊分の食事と宿泊費1750ルピーを渡したぼくは、250ルピーのお釣りを受け取り、たった今ロッジを出たばかり。
何気なく受け取ったお釣りが引っかかり、既に先に進み始めた足を止め、チップを渡しにロッジへ戻ろうか、迷っていたのだ。
1分歩いては立ち止まり、やっぱやめようと進み、やっぱり戻ろうかと立ち止まる。
日本円にして300円にも満たないお釣りを、戻ってまで渡すのも変だろう。ぼくは15万円スられた身、残金に直結するわけでなくとも、気持ちとしては心もとない。戻らない理由など、探せばいくらでも見つかる。
いやでも、この300円が引っかかり続けるかもしれない。ならばいっそ、すぐに渡さなかった僕の戒めとして、生涯300円を根に持ち続けるのも良いかもしれないな。
なんて、グズグズ考えた。
結果、ぼくは戻って、250ルピーを感謝の気持ちと共に渡した。実は前日、一緒にmomoというネパール餃子を作って楽しかったのだ。それに蒸したてのイモや温かいティーなど、注文外の飲食もよばれていた。
こじつけに打ち勝って、小さな勇気側の行動を取れたことに、僕はイモのようにホクホクと満足していた。
「ていうか1750ルピーなんてどのみち安いんだから、チップがあって当然さ!」
、、、改めて脳内で勘定をし、また立ち止まった。
2150ルピーな気がする。
ケチ臭いぼくは、数百円数十円単位で、その日の食事をどうするか考えてしまうところがある。だからなんとなく覚えていたメニュー表の金額を集めると、2150ルピーになるはずだ。
足りない。チップを渡したとて、ぼくが受けたサービス料には足りていないのだ。心当たりは見つかった。昨日一緒に作ったmomoが、勘定に含まれていなかったのだと思う。
ぼくが注文したダルバートは夕食に出てこず、その前にmomo作りに変わっていたという流れがある。もちろんぼくには了承済みで、ぼくはその上で夕飯のmomoを楽しみにしていた。
それを手伝い料にしたのか、それとも深く気にしていないのか。チップを渡した瞬間のキョトンとしたオーナーの表情から察するに、後者だろう。
豊かとはいえない、どちらかと言えば貧困地域での小銭のやりとりで、ぼくは大きな懐を感じていた。


