ネパールのエベレスト街道メインルート、クラシックルートを歩いて感じた事とか、思った事とかを、文章にしてみました。
読み物みている気分で、へぇー、って読んでもらえればとおもいます。
ジープは使うんじゃあねぇ
陸路のジープを使うと、死ぬ確立が100倍以上に跳ね上がると思う。
世界一危険な空港と言われるのはルクラ空港は、一番近いもので2019年が最後の事故。その前は2008年に大事故をやらかしている。
だけど陸路では、毎月車が谷底に転がっているって話を聞く。ただ、それらはひっそりと落ちているので、統計には上がっていない。
ぼくはルクラ空港から帰りのフライトが、悪天候でパスになったんだけど、帰路にジープを利用したんだ。これがまあ後悔したよね。
こうして生きているから文章綴っているんだけど、100回アレを繰り返せば、1,2回は死ぬんじゃないかな?
まずは崖っぷちの悪路だけど、国内最恐の呼び声高い、我ら岐阜の酷道エース「157号」すら異名を返上したくなるレベルの「落ちたら死ぬ」具合。
それをドライバーは電話しながら片手で運転するものだから、見ていてヒヤヒヤする。頼むから両手を握ってくれ、と。
極めつけは大川渡り。
林道が大好きで、渡渉もするし、行けるところまで行こうとする、ジムニー乗りのぼくがドン引きするレベルの渡渉を、現地のジープは当然のように進もうとする。
川を渡るというよりも、濁流に突っ込むといったところで、仮に流されたら即死不可避の急流なのだ。渡渉中はフェンダーまで水が浸かっているんで、車内に入り込んだ水で足が濡れる。
ぼくらのジープは3台列をなして進んでいたのだけれど、1台目のジープが渡渉中にスタックし、動かなくなった。何しても動かなそうだったので、ぼくらは(運良く)渡れなくなり、仕方なく別の道を迂回した。
到着こそ遅くなったものの、迂回した別の道には立派な橋が架かっていた。
迂回するまでにぼくらのジープもスタックし、運転手らがジャッキで奮闘していた。牽引ロープすら積んでおらず、やみくもにジャッキでどうにかする彼らを見て、安全確保など片隅にも考えてない奴らだと、直感で理解はできた。
コイツらに任せていたら命の補償はねぇや。
毎月死人が出ているって話は、どうやら本当なんだろうなと感じた。
客の命の事なんて考えてない楽観主義、そもそも自分の命すら軽く、国民レベルで命の重みが軽いのでしょう。そりゃあ統計に上がるまでもない。
軽蔑も含まれるが、イライラするレベルに危険だと感じたので、陸路は本当におすすめしない。飛行機が止まったらなら、金を使ってでもヘリを推奨。

4,500m以上はまともに眠れなかった
なかなか眠れない時、ぼくならどうするか?
人によって色々あるとは思うけど、ぼくは呼吸を数えてみたり、体の感覚に意識を向けたりする。そうしているうちに、勝手に落ちていく。つまり、寝ようと努力をすれば、ぼくは眠れる。
じゃあ、その努力も及ばない状況下において、眠れない場合はどうすればよいか?
もっと言えば、眠いのに眠れない場合は、どうすればよいのか?
エベレスト街道は標高が高く、最高で5,000mを超えるような場所にロッジがある。当然ながら空気の密度は薄く、下界の約半分程度になるそうな。
これが厄介で、寝ている時に酸欠になるのだ。
具体的に言えば、眠りにつくその瞬間、自律的な反応によって呼吸が浅くなったタイミングで、呼吸不足による酸欠状態になる。結果、苦しくなって目が覚めるのだ。
眠い、だから意識を失う。意識を失いかけている、まどろみの最も気持ちが良い瞬間に、「ブハァッ!!」って目覚めと共に、深い呼吸を数回欲する。
、、、最低な気分だぜ?
ぼくは知らなかったよ、眠いのに眠れない事があるなんて。
それが21:00~03:00まで6時間続いた。もう二度と、こんなところに来るかよ、って思ったね。

標高と頭痛(高度順応について)
今までの最高地点は3776m、つまり富士山以上の所までいったことの無いぼくは、この旅を不安視しながらも、楽観的に捉えていた。
けれどやっぱちゃんと標高が高いのって、キツイものなのな。5,500mの峠を越えた日の夕方から、ちゃんと頭痛と倦怠感に襲われた。
具体的に言えば、SpO2が最低56%まで下がって、60%あたりをウロウロしていた。
ぼくはHIITもしているし、日本の山ではボチボチ健脚寄りなので、体力と心肺機能には自信があったんだけど、標高はそれとはあんま関係ないみたい。気圧による脳室髄液問題とか色々あるんだろうね、頭から来たよ。
一度3000m付近まで下がって、もう一度5,000mを超えた時は、べつになんともなかった。
高度順応っておもしろいもんで、最初はそこそこ息苦しいと感じてい3,500m付近の宿泊も、帰りはスゲー楽なのな。
一日500mずつくらい標高を上げるんだけど、到着した段階のお昼ごろは、横になっていても息苦しいの。それが半日過ごすことで、翌朝にはそこそこ余裕になっているから、また午前中に500m程上げる。
赤芽球が赤血球になって、まともに酸素を運搬できるようになるまでに、一週間ほどかかるはずだから、半日で仕上がる能力値上昇とはまた別の話だとおもう。けど、実際に500mずつくらいなら、ほどほど何とかなるし、一度下がって体制整えれば、また高い所に登れるんだよ。
そうして8848mのエベレストにも上るんだろうけど、ぼくには到底やるきが起きなかったよね。
全力でHIITトレーニングができる、海抜0mの下界がぼくは好きです。

15万円スられた話
これは別記事でまとめているんで、コッチ見てくれ。

今は閉ざされた、チベットとネパールを繋いでいた道|ナンパ・ラ峠
3パスルートの帰路にあたる、エベレスト街道西側コースを歩くと、かつてのチベットとネパールの交易ルートに思いを寄せる事が出来るかも。
ルンデンと呼ばれる静かな村に訪れると、その奥に自分たちが歩いて来たのとは違う、北西に谷が伸びているのが見えるはず。そこはエベレスト街道の公式ルートにはなっていないのだけれど、地図によっては破線が伸びている。
その先をたどると、今は中国としてひとくくりにされている、チベットとの国境に繋がる。そこはナンパ・ラ峠と呼ばれ、標高は5,700m超え、かつてチベットとネパール(シェルパ族)との交易で通られていた道。
なぜそんな山奥に交易ルートがあったかというと、かつてネパールで貴重だった「塩」が、チベット側から運ばれてくる、重要な道だったそうな。標高100~2000mくらいではあるが、日本にもそういった道の名残はあるよね。
インドから塩が運ばれるようになってからは、ナンパ・ラ峠は役目を終えたそうな。だけど、チベットが中国に吸収されて以来、ダライラマのチベット→インドへの亡命に続く形で、チベット人がこの道を使って亡命をした。
だけどそれを許さない中国政府が規制を強くして、危険な冬に亡命をするようになったり、中国政府に撃ち殺される事件が発生したりだとか。
なんか北朝鮮みたいなことになってるよなぁ、って、トレッキング中に入った電波を使って、AIに聞きながら教えてもらっていた。
話を戻すけど、この峠へと続く道、というかルンデン辺りの風景がものすごくイイ感じなんだ。トレッキングルートとしてもそんなに人は多くないし、標高も高くて静か。
まるでかつての交易ルートの拠点として、ひっそり佇む村のルートって気がしてさ。
交易時代は塩を持った商人が、あの山の向こうから峠を越えてやって来ていた。亡命時代はそのルートを使って、チベット人がダライラマが居る地域まで逃げてきた道だった。でも峠は今は閉ざされて、その名残をぼくらは感じながら歩いている。
朝夕に移動する、Yakの鈴がカランコロンと鳴る以外は、1日中静かなこの村。
ここも歴史を込にして感じて欲しい、お気に入りの過疎ルートかな。


