旅で最も苦しかった一日 【34日目:広島】

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ふぁーーーー
なんと快適な朝だろうか。

和室に布団の組み合わせは、何度経験しても素晴らしい。
家のベッド以上の回復力だ。

枝ママは、暖かい部屋で朝ごはんを用意してくれる。
こんな放浪人に良くしてくれ、僕はとても嬉しく思いました。⁡

全力でゆっくりさせてもらったので、何もお返しは出来ていません。⁡

だけどもお返しをするなんて、きっともてなしをしてくれた人は願っていないだろう。

「ゆっくりしていってね」
その言葉に嘘も裏もないのだ。

だから僕は、旅人を見かけたら飯を奢ってやろう。

目次

広島

さて、今日の予定は平和記念公園。
そこで、原爆についてもう一度学んでこよう。

平和記念資料館に最初に立寄る。

写真に収めようと思いましたが、到底その気にならず。⁡
⁡中で撮影できたのは、この程度。⁡

写真で説明が出来ないこと、惨劇の映像や写真や絵を、言葉でも説明出来ないことを許して欲しい。

ここからはちょっと、文章で。

⁡小学生の頃だったろうか、終戦記念60年の時に、じいちゃんから本を渡されました。
そこには被爆者の絵や体験が書き留められていました。

⁡本を読むだけで焦燥感か恐怖か不安か、はたまたあまりにも現実離れした悲惨な出来事を直視できないのか、心拍すら上がった覚えがある。⁡
⁡⁡
今回平和資料館で見たものも、被爆直後の人々、被曝から数年たった後に、酷い状態で無くなった方たち。⁡
⁡⁡それら一つ一つの状況を、じっくり見て、読んだ。⁡
⁡⁡
⁡どう表現したらいいか分からないが、今日も心拍数は上がる。
呼吸は浅く早く、気がついたら手を握りしめていた。⁡

大人になった今でも、子供の頃読んだ本の衝撃と、言葉に表せられない気持ちは同じだった。

2時間滞在し、心はすり減っていた。
疲れたのか、感情をまとめられないのか、とにかく心へのダメージが強かった。

被爆者とその家族の心に比べれば、どんなに小さいかは分からない。
それでも心はすり減った。

外はあまりにも快晴、もはや観光地化された原爆ドームも、人々の笑顔を暖かく見守るようにすら見えた。⁡

ここで、枝ママのくれたおにぎりが、とても沁みる。

だけど被爆した方たちも、そろそろ居なくなる年月が経った。⁡
⁡⁡
⁡日本は平和かもしれないが、団結力のある国だ。国民の主張も弱く、流されやすい人が集まっている。⁡
⁡同調意識の元、争いに発展したら止まらないような気もしてくる。⁡

核が使用されると、地球規模でガスが包まれ、数年にわたって日照不足による飢饉が起こるらしい。

その気になれば、やっぱりだが人類滅亡は出来るらしい。
人類はなんという、恐ろしいものを作ってしまったのだ。

心を静めるのは、やっぱり田舎

しんどい気持ちのまま、ぼちぼちと自転車を進める。

時間を費やしたのもあり、今日は100キロほど進めれば上々か。

海が見れる道に出た。

あおさ海苔のような海草が漂う海だ。
どうやら海藻系を育てているっぽい。

この時点で僕は、平常な心を取り戻していた。

ずっとR2号を走っていたこともあり、都会の道の狭さにうんざりしていた。
僕はここで、田舎の道を選択し、ヒルクライムを受け入れた。

そして知らない間に山口入りだ。

夕刻前はどこにいても綺麗。
これは、旅をしていていつも感じていた。

午前中にすり減った心も癒される。

山口に入って程なく、マックスバリューとその付近に東屋を見つけたので就寝。

それにしても、ほんとに画質の悪いケータイだ(笑)
⁡⁡

走行距離:約95㎞

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