「人生後半の戦略書」という本が、今読むべき良書だった件①

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すごく面白い、人生の考え方に大きなヒントをくれる本を読んだ。

著:アーサー・C・ブルックス, 翻訳:木村 千里
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人生後半の戦略書

というタイトルの本。

280ページで程よい量、読みやすいテンポ、事例も多めに入っているので、読む分にはスラスラと内容が入ってくる本だった。

内容を非常にざっくりとまとめると

人の仕事のキャリアってのは、思ったよりも落ち込みが早い(30~50代)から、しがみつこうとすると不幸になるよ。幸福になりたければ、第二の波(人へ教える事)にフェーズを意識的に変えていこうね。

って話かな。

すごくざっくりとまとめて、ね。

キャリアの落ち込みに直面している人たちに向けた書籍だから、本来であれば30代後半~50代の当事者に向けた本なのだけど、むしろ今から、30代前半にこの本を読めて、すごく良かった気がする。

なぜなら、

「キャリアの落ち込みは思ったよりも早く来る、それもほぼ確実に。」

この事実を知っているだけで、少しずつ心の準備が出来ると思った。それに、これから人生の身の振り方を、じっくり考えながら、おちついて設計していける気がしたかな。

ただし、この本の前提なのだけど、割とある程度の成功を収めた人達だとか、キャリアに特化した人生を送って来た人だとか、ストライバー(努力家・仕事尽くしの人・成功しようと励みすぎる人)に向けた本である、という事。

人生ほどほどに生きたい、って人には関係ねぇや、って思っちゃうんだよね。

が、しかし。

僕にも持っている、「人生をより良くしたい」という気持ち。

これは一種のストライバーになるんじゃなかろうか?

  • より豊かになりたい。
  • より多くの経験を積みたい。
  • より意味のある人生にしたい。

こう考える人が居るのはおかしくない事だし、今の世の中、どちらかと言えば「良い考え方」のようにも思える。

だけどもしかして、そんな向上心や野心のようなものが、人生を本当に豊かに感じる足かせになっているとしたら?

この書籍は、そんな「いろんなパターンのストライバー達に」一度立ち止まらせ、広い視野を与えてる本な気がする。

一生懸命に生きているほど、気づきもしなかった視点を教えてくれる本だったな、って感じ。

「人生後半はバッハのようであれ」
クリエイティブな創造性を発揮するのではなく、晩年には「教える立場」のようにして生きるべし。

「人は成功に依存して生きてはいけない」
若いころの栄光というのは、場合によっちゃ、人生後半の感覚に不幸を与える。フェーズを変えながら生きるために、足かせとなりやすい3つの落とし穴。

などなど、突飛な人生やキャリア的な人生を歩んでいない人であっても、参考になる考え方や事例はたくさん発見できました。

つまり、学びになったってことだ。

読書感想文としてはいささか長い内容になっている故、昨今のSNSショート動画に侵された、脳内ドパドパ中毒状態だと、途中離脱したくなる内容かもしれない。

けど、なるべく分かりやすくまとめたつもり。

そんな「人生後半の戦略書」を、僕の二次解説でよろしければ、どうぞ見てみてくださいな。

目次

絶望死のダーウィン

まずは進化論で有名な、「ダーウィン」先生のお話から。

彼は晩年に絶望して死んでいった例として、とても分かりやすかったから、導入によろしくて。

ダーウィンは22歳でとある航海の船に乗せてもらい、そこで彼が言う「人生において最も貴重な経験」をしたそうな。27歳でダーウィンは帰国し、「自然淘汰説」を発表。50年には「種の起源」を発表し、知名度もキャリアもピークに。

だが、その後は執筆や研究も捗らず、自身の研究結果も「満足のいかないもの」「独創性の無いもの」として考え、気落ちするように。彼は自身の生活について、「悠々自適に暮らすために必要なものは揃っているのに、私の人生はすっかり退屈なものになってしまった。」と言いつつ、73歳で死去した。

非常に簡単にまとめてしまったが、ダーウィンはあのダーウィンであり、世界で最も尊敬された者の一人でもあり、その功績は彼が生き続けた間も、死後も称賛され続けている。

が、ダーウィンは自分の人生の晩年を、退屈なものとして、絶望していた。

それは、彼が自分のキャリアを晩年まで変えることなく、落ち込み続ける能力に抗いながら、今までと同じ事にしがみついた事が原因だった。

キャリアの落ち込みはいつか?

ダーウィンは50歳をピークに、そのキャリアを落とした。

ところでキャリアの落ち込みというのは、人生のいつ頃に来るものなのだろう?

野球選手やサッカー選手なら分かる。そりゃあ、30歳を超えて頑張れるものは少なく、40歳を超えればさらに難しくなる。プロスノーボーダーや体操選手なんかは、もっと難しいだろう。

では、職業はどうだ?

65歳の定年を迎えるまで、キャリアの落ち込みがあるとは思えない。おおよそのアンケート結果では、仕事を辞めるまではキャリアの落ち込みは起きないだろうと、ほぼ全ての人が回答したそうな。場合によっては、80歳くらいだと予想したジャンルもあったそう。

が、実際の所、高いスキルを要する職業の落ち込みは、30代後半~50代前半に落ち込み始めるそうな。それも、ほぼ例外なくすべてに訪れると。

今ある仕事のほとんどが、50歳までに落ち込むんだとな。

理由を簡単に説明すると、流動性知能が衰えるから。

ワーキングメモリ、マルチタスク能力などをつかさどる、前頭前皮質のパフォーマンスが低下するのが早いそうな。医療職的にはこれは分かりやすい。

職業別に言えば、

物理学者は50歳、医学者は45歳、作家は40歳、金融関係者は36歳から低下が始まるとされていた。

だけど、人生において大きな成功を収めた人物というのは、それだけで人生が幸福なんじゃないだろうか?

これはどうやら難しいらしいんだ。

人生における「大きな成功」

もし、ビッグスター、科学者のように、大きな成功を人生のどこかで経験したら?それはハッピーエンドになるのか?

その思い出だけで悠々自適に生きていくことは出来るのか?どうやらそうではないらしい。ダーウィンを主に、いくつかの著名人や、成功した事例のキャリアを手放しきれず、絶望していった人の例が幾つか挙げられた。

それも、人生における大きな成功を収めた人ほど、そこにしがみついてしまう事は多いらしいのな。

幼少期に「ギフテッド」と呼ばれた人。いわば、「神童」みたいな扱いをされた人だよね。彼らは晩年、80歳代になると、他より幸福度が低い相関にあったらしいのな。

ギフテッド、神童、ダーウィン、成功者、、、

どれも自分には遠い話だよな、そんな極端な例に、自分は入らないから大丈夫そうだ。

、、、それは僕も思った。

確かにこれは、極端な人の方が、落差の大きさに苦しむようなニュアンスではあったけど、自分にもおおむね言えることがあるんじゃないだろうか?

  • 学生の頃はモテた
  • 若い頃は仕事でいくらか成功した
  • 若い頃は体力もあって、色々と出来た
  • 色んなチャレンジをして、自分は人と交流が出来る

、、、などなど。

僕は学生の頃からモテなかったので、これは自分の話では無いのだけれど、一つくらいは当てはまる人も居ると思う。ここに並べなくとも、それらしい「今現在の誇り」のようなものは、だれしも一つくらいはあると思うんだ。

例えば「頭の回転が速いね」と褒められ続けた人も、40歳ごろから頭の回らないジジイ扱いをされるかもしれない。

以前のように、チャレンジをしても面白い事が出来なくなってくるかもしれない。

若いころのような体力が無くなり、次の世代に抜かれるかもしれない。

これが、「自分にとってどうでも良いジャンル」であれば、年齢を理由にして諦める(例えば醜い肉体や体力など)事は容易だと思う。

けれど、自分が「ある程度誇りに思っていた部分」というものに、衰えを感じてしまった場合、果たして本当に簡単に受け入れることが出来るのだろうか?

多くの場合、衰えを「時間」や「努力」で埋めようとするがゆえ、さらにキャリアにしがみつき、仕事に没頭し、報われない結果に精神をズタボロにされるらしい、、、。

壊れかけの自転車を進ませるためには、今までより多くペダルを回さなくちゃならないと。そりゃキツイ。

そう、簡単に出来ないからこそ、栄光にしがみついて生きることは、辛い事なのです。

もしかしたら、昔は良かったおじさんというのは、内心とても辛い状態なのかもしれない。

そう思うと、少し優しくしてあげたくもなる。

さて、ここまでをまとめると、、、

  • 30代後半~50代にキャリアの落ち込みは訪れる。それも確実に。
  • 過去の栄光だけで生きていくことは難しい。

はぁ、、、

絶望的にすら、感じてしまうよね。

人生の晩年に、明るく生きていく方法は、どこにあるのだろうか?

第二の曲線を知る

先ほど、落ち込むキャリアの理由は、流動性知能の低下によるもの、とされていた。

ピンとくる人はその時点で気が付いたかもしれないですが、老年以降も伸び続ける知能、結晶性知能の存在です。

これに乗っかる事が、人生晩年を良くする秘訣なんだと。

無理にいままでのキャリア、得意にしがみつこうとせず、流動性知能を諦め、結晶性知能を活かした人生を構築していくって事ですな。

どうやら人間、語彙力のようなものは伸び続けるらしい。単に語彙力というだけでなく、複雑なアイデアの組み合わせ、データから問題を発見すること、執筆、研究からの洞察、発見、課題の解決。これらは39.7年後にピークを迎えるんだと。

いわば、アナリティクスだとか、経験を活かした分析。

みたいなのに長けてくるって事だ。

分かりやすい例で言えば、「教師」がこれに該当するんだと。

なので中高年以降、老年期を幸福に生きるためのポイント

今まで生きた知識や知恵を、人に教える事、奉仕する事、教育すること、人をより良く導くことに、人生のエネルギーを使う。

これが大切なんだと。これをすれば、満ち足りた、幸福な人生を送れるんだと。

言わんとしていることは、すごくよく分かるよね。

良き爺さん婆さんが、若い子たちを暖かい目で見守っている感じ、幸せそうだものな。

バッハのようであれ

ダーウィン先生が50歳以降に絶望したのと対照に、音楽家の「バッハ」を例に挙げておりました。

すげー端的にまとめると、、、

バッハは言わずと知れた音楽家で、作曲家で、僕らが思っている以上に凄い人なんだと。(って感じだった)。が、それも息子たちに自分のキャリアを抜かれ、作曲家としては落ち目を感じていた。

ここで暴走してしまう親の話ってのは、よく聞く話ではあるんだけど、バッハは違った。息子たちに教え、成長させ、そして自分の作曲ノウハウみたいなものを、自分の書物として、後世に伝える事にキャリアを乗り換えたんだと。

執筆中にバッハは死んでしまったけれど、作曲家から伝える側へとキャリアを大きく乗り換えた彼の人生は、晩年もたいそう幸せだったんだと。

だから、バッハのようであれ。と。

その第二の波に乗るべし

さて、どのみち50代には、今までの得意やキャリアってのは、脆く崩れるらしい。何度も言うが、これは避けられない。

だが、幸いなことに、老年以降も結晶性知能は蓄積され続けるという事実がある。

これを知るだけで、ずいぶんと気持ちが軽くなった気がしないですか?

知るだけで、気持ちの準備が出来たってのは、ここがデカいかな。

今、31歳の僕は、10年後には見え始めるかもしれない、一定の知能の低下が確実に予想されている。

だけど多くの人は無意識的にそれに抗ってしまい、人生の後半を辛いものにしてしまう。

ならば意識的に「結晶性知能」に乗り換えて行けば、小さくも「バッハのように生きる」事が出来るのではないか?

避けられないと決まっている事であれば、安心して、開き直って、第二の波に乗れるのではなかろうか?

、、、次はその波に乗ることを拒む、3つの足かせについてまとめようか。

3つの足かせ

仕事依存症

一言で言えば、「ワーカーホリック」。

これに関しては、定義はネット上にあれば、イメージできる人も多いと思いますし、自分を含め、僕の周りにはそう居ない。

と、思っていますんで、割愛しようかな。

と言っても、仕事以外の時間に仕事をしてしまったり、余暇時間を美しく過ごすエネルギーが残されていないだとか、その辺りの事を定義とすれば、耳が痛い人も居ると思う。

予備軍くらいならいっぱいいると思うんだ。

僕が気を付けるとするならば、夜のブログ執筆とかかな。

奥さんが返って来た後、おおむね6:00以降は作業を本当はしたくないんだけど、どうしてもやってしまう事が多い。

酷いと22:00くらいまでパソコンを付けて作業していることもあるので、これはいけない。

意識的に消していた、夕方以降のパソコンを、ちゃんと消すようにしないと。

こうした本を読むときに大切なのは、「自分には関係ないかな」と思わない事。

自分に当てはまることは無いだろうか?

自分に改善すべきところは、部分的に残されていないだろうか?

こうして細かい所を拾っていくと、生活や考え方を改めるきっかけになりやすいんだよね。

成功依存症

多くの依存症が「ドーパミン」によるものであって、成功も一種の「刺激」として、依存性があるものなのだと。

ただ、これは例えが「リンカーン」のお話だったり、成功者を「よほどの成功者」として挙げていたので、成功依存症のイメージが自分にはなかなかつかなかったのですが、、、

自分に当てはめてイメージするなら、今こうして「ブログ」や「Webライティング」で生きている現状は、ある程度の「心地よさ」がある、という事かな。

ここに、快楽や刺激があるのかねぇ、?

とはいえ

  • 自分のブログが、より優れた「他者」に抜かれてダメになった時
  • この成功とも呼べる状態を確実に手放すときが来ている時

こんな時、今までの成功に依存せず、次のフェーズを意識できるようになるのか?

これに関しては、少し気を付けて俯瞰してみないとな、って思います。

人モノ化

「私は幸福になるよりも、特別になりたいのかもしれない」

この一文は中々に刺さったかな。

これは僕が最近最も気を付けていることで、自分を「肩書き」だとか「他者からのイメージ」でアイデンティティを表現したくないい、という事に似ている気がする。

これは特に有名人が陥りやすいというか、他者から「モノ」化されやすいという話だけど、「モノ」化というのは、いわば「象徴化」されてしまう、してしまう事。

あの人はお金持ちだ。

あの人は○○で有名な人だよね。

あの人は○○している人だよね。

などなど、その人の人格・好きな事・その人の思うアイデンティティを無視して、勝手なイメージや分かりやすい表現で象徴してしまう事を、「モノ化」と呼んでいた。

人を人として見ず、外見特性で見たりする感じかな。

もちろんこれを他社に当てはめることは、失礼で良くない事ではあるのだけど、今回の論点は、それを「自分に向けると辛い」よね。って事。

「私は幸福になるよりも、特別になりたいのかもしれない」

この一文だけど、この人は自分の人生そのものでは無くて、自分の象徴化されたキャリアによって、自分を「モノ化」してしまった人の言葉。

僕が最近気づいた事としては、自分のアイデンティティについて。

「ブロガー」「自由に働いている人」

こんな、他者から分かりやすい言葉やイメージを、自分のアイデンティティにしたくない。人に自分を紹介する時、名刺のように提示してはいけないなぁ、と。

自分のアイデンティティってのは

「筋トレがそこそこ好きになってきた人」「夜はゆっくり過ごしたい人」「料理を楽しんでいる人」「良きパートナー」「アウトドアが好きな人」「友人とこれからやる事広げていってみたいと考えている人」

みたいな感じにね。

また、資本主義というシステムの中で、「労働者」として人をモノ化してしまうと、幸福が損なわれるという指摘もありました。

そのほかにも、「ルッキズム」なんかもそうなんだとね。

自分を愛するのではなく、成功している自分のイメージを愛してはいけない。

と。

これは書かれていなかったけれど、おそらく自分と他人の状態・立場・経済状況・得意不得意・成功の度合いなんかを、「比較」してしまうことも、モノ化しているって事なのだろうね。

自分のイメージをモノ化してしまうのは、根底にあるのが「プライド」なんだと。

だからこそ、これを抜け出すことに恐怖心が生まれ、結局のところ、自分のイメージに依存して抜け出せない。

結果として、第二の波に乗る事を、拒絶してしまうと。

自分のイメージをそこに持っちゃうと、キャリアの変化が怖くなっちゃうんだよね。

さて、自分は自分の生活や人生が今までのように成り立たなくなった時、自分のイメージを守ろうとするが故、恐怖心を抱かないだろうか?

そう思うと、自分だって、今の自分に依存しているような気すらしてくる。

ただ、認める事

第二の波にキャリアを乗り換えること、ここに足かせを感じたのなら、やることは単純、認める事。

  • 世間から見た自分の特別度が下がることを受けいれ、自己モノ化をやめたい。
  • 肩の荷を下ろしたい。

そうハッキリと口にすること、認める事が大切なんだそうな。

下記のように、ハッキリと口にすることが大事なんだと。

  • 人よりキャリアを優先する人生から、私を解放してください。
  • 仕事にかまけて人生をないがしろにする行為から、私を解放してください。
  • 他社より優位に立ちたいという願望から、私を解放してください。
  • 世間の空虚な約束に轢かれる心から、私を解放してください。
  • 愛よりプライドを取る心から、私を解放してください。
  • 依存から離脱する苦痛から、私を解放してください。
  • 落ち込み忘れられる恐怖から、私を解放してください。

これらはカトリック教会発信な感じなので、ちょっと十戒っぽさがあるけど、信仰とは無関係に役立つんだと。

要するに認めること。気づきが大切になってくるんでしょうな。

自分が今、考えている事を「俯瞰」すること。

もしかして自分には、自己モノ化の気があるのかもしれない。人からのイメージを重視しているのかもしれない。成功依存になっているのかもしれない。その気づきから、自分の良くないところを認め、第二の波に乗るための足かせを、意図的に外していくことが必要なのだろうね。

意識的に矯正していけばいいのなら、あんがい単純に思えるぞ。

ここからは、より具体的な話になっていきます。

真っ白なキャンバスか、彫刻か?

よく、真っ白なキャンバスに人生を描く。と言われること、近しい表現は聞いたことがあると思う。

一方で、彫刻は一つのモノから作品を見出していく。いわば必要な部分だけを残す、という考え方もある。ミケランジェロがそう言っていたような。

これらはそれぞれ、キャンバス的な考え方が「西洋」で、彫刻的な考え方が「東洋」的なのだと。

キャンバス的な人生を実際のイメージで言えば

  • 多くの経験をして(みどり)
  • 財産を手に入れ(きいろ)
  • 趣味を持ち(あか)
  • 仕事で成功をし(あお)
  • 人間関係を気づき(おれんじ)

みたいに、色んな色で人生というキャンバスにどんどん塗り重ねていく。

この「足し算」的な人生が魅力・成功とされているのが、西洋のざっくりした考え方なんだと。

だから、やりたいことリストだとか、バケットリスト、なんて言葉が流行ったのも、西洋発信なんだとな。

もちろんこれも素敵なことなのだけどね。

だけどこれってば、年を取って来た時、今までと同じようには、キャンバスに色は塗り続けられない。

人生の晩年に、塗り重ねたキャンバスに、さらに同じ色を足そうと言うのか。

ここで考えたいのが、彫刻的・東洋的な考え方。

自分の人生にとって、何が不要か?

これを考えていきたい。

自分を「モノ」化する方法

お金、権力、快楽、名誉

これらのうち、自分が求めてしまうものは何だろうか?

是非ともワークをやってみて欲しい、簡単だから。例に続いて、自分に当てはめてみて。

  • お金:あるに越したことは無いけど、必要なだけあればいいよね。
  • 権力:人を動かすような権力は、私には必要が無いかな
  • 快楽:気になりはするけど、コントロールはできるかな
  • 名誉:他者からの好意を集めようとする心。これは一抹の後ろめたさを感じつつも、惹かれずにはいられないなあ、、、

この場合、名誉があなたにとっての「偶像」であり、これを手に入れるほど、あなたは「モノ」になるのです

、、、とのことですわ。

人から良く見られたい、ってのは、多くの人に当てはまるんじゃあないかな。

これはきっと、本当の意味で「家族からの信頼」を得たり、「優しい人」と思われるのとかでは無く、SNS上でのアピールなんかが該当しそうかな。

ちなみに僕は、SNSのストーリーとかで、この気持ちと揺れ動く感情があるから、「名誉」は心当たりがあるんだよね。

自分がやっている活動を「知って欲しい」「面白い人と思ってほしい」という名誉的な気持ちと、「知ってもらう事で、人に興味を持ってもらいたい(面白事に繋げたい・広げたい)」っていう気持ち。

この二つが混ざっている。

だからこそ、度が過ぎると自分だって、自分の事をモノ化してしまう事になりかねないんだ。

重要なのは「バランス」って事なんだな。

お金は必要。だけど執着してはいけないし、それそのものを目標にしちゃあいけない。

権力も、快楽も、名誉も。ある程度は自分を保ったり、人生を豊かにするものだけど、それにこだわっちゃあいけないんだ。

、、、で、これが第二の波に乗るための足かせになる理由。

キャリアで成功していた人が、第二の波に乗るためには、今のキャリアの低下を認め、手放す必要がある。

つまり、収入(お金)は減り、仕事で得た地位(権力)は手放し、成功という刺激(快楽)は得られなくなり、能力に対する尊敬(名誉)も無くなる。

こりゃあ、キャリアを手放す時になって、これらに執着してしまっていたら、乗り換えるのがしんどいだろうなぁ

一旦はここまで。

次の章は、「友人関係」にまつわるお話。

友人が少ないと感じる方は、晩年に危機が訪れるかもしれない。

友人が多いと思う人も、もしかしたら友人の「質」で捉えなおすと、今ある重要な友人を大切にしたくなるかもしれない。

僕はこの章が、一番心にグサッと来たかな↓

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